−ここ数年の出来事− 吉田輝人
(1999-12-30)

1997年

  2月 アメリカ出張。 バーボンで有名なケンタッキー州なのに「禁酒の町」でした。
     地酒が飲めなかったことが残念
と、ここまでは多忙なれど順調な生活。

  4月 「最近妙につかれるな」と感じてはいた。
     ある日曜に力仕事をしたら腕がはれあがったので、翌日病院にいく。
     原因不明で葛根湯などで治療。

©Teruto 1997
入院風景   6月 ついに夜景のきれいな病院(立川)に入院。
      (ここは、医師、看護婦、設備、すべて最高で快適!!)
      病名:縦隔悪性胚細胞性腫瘍
     手術できないくらい大きく、入院と同じに抗がん剤治療スタート
  7月 手術決定
  8月 12時間を超える大手術
  9月 一時退院するも、転移部位で再燃(再発)抗がん剤治療に入る
  12月 退院  元気に復活 ご心配をおかけしました。と一安心。

1998年

  1月 元気に出社。といっても薬のため顔は真ん丸。
  2月 再燃(再発)確定。入院。左肺手術。
  3月 クラス会などに出席。合間をぬって右肺手術
 〜5月 抗ガン剤治療で入院継続。
  6月 抗ガン剤治療中心となり病院を変わる。
  8月 治療でかなりへばったが、頑張る。結構危険な事も。
  9月 退院
  10月 1ヶ月の静養の後、職場復帰。

1999年

  2月 医師に「あと半年程度月1回の通院観察はあるが、ほぼ大丈夫」といわれたが...
  3月 小学校の同窓会に元気良く参加。この頃A3ノビサイズまで印刷できるカラープリンタを買ったことから、昔の写真を拡大して遊んだりしておりました。そう、CD-Rも買って快適に過ごしておりました。もちろん、仕事もちゃんとしていたことにしておいてください。
     月末になり急に再発確定。(進行が早いタイプですから急に決まります)
  4月 大変きれいになった病院に入院。はしゃぎつつ手術などを待つ。 注:抗がん剤も随分やってきたので今度は手術の予定です。流行を追いかけきれない歳になったようで「団子状のものが2つ(3兄弟ではない)合わせて2cm位」だそうです。
     手術を済ませて退院
    ここらあたりについての詳細は→別紙1
  5月 連休明けより職場復帰
  7月 月末に脳転移による発作で倒れ救急車で、古巣の夜景のきれいな病院(立川)へ運ばれる。
    ここから12月くらいまでの詳細は→別紙2
  8月 頭部手術。言語や右半身麻痺が心配されたが無事クリア。
  9月 放射線治療。部分照射だったため、まだらハゲ。
     (頭部放射線照射により記憶関係の能力低下を感じている。残念な事。)
  10月 退院、肝機能関係に問題があり、自宅療養。
  12月 肝動脈カテーテル関係の手術実施。

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縦隔悪性胚細胞性腫瘍カルトクイズ
というか これにかかるFAQ

これは俗にいうガンですか
 はい。医師に「良性ですか、悪性ですか」と聞いたら、
 「良性のガンはない」といわれてしまいました。
 輪をかけて「悪性度が高く、半分以上助からない」とまで。
 助ける自信があるからのお言葉と有難く拝聴いたしました。

ご感想は
 本当にまずいなと思ったのは、紹介状を持って立川の病院に来て、
 妙に早く診察室に通されて、なぜか隣の診療室にいらした院長先生
 にも紹介されて変だなと思った後、先生がレントゲン写真を見なが
 らカルテに書いた肺の図に比較的大きな赤い丸を複数個、しかも左
 右それぞれに書きこんでいるのを見たとき。
 「ありゃこまったな」と。
 「手術は出来ますか」と聞いたら「大きすぎて無理」とのこと。
 「抗がん剤で小さくして手術」と言われました。そのまま入院して
 病院で昼食を取って、外泊許可をもらって午後の会議に出て身辺整
 理をしました。スーツ姿で入院した人も病院から出勤した人も珍し
 い。
 ここで困ったのは自分の事より両親の心配。本人以上に大変ですよ。
 本人の精神的な支えは妹と友人に甘えました。突然電話をかけて、
 脅かすように話を聞いてもらいました。

 私の場合支えてくれる人がいましたし、甘え上手ですから入院して
 から眠れない事はありませんでした。まあ、明け方目がさめて涙に
 枕をぬらす等と言う詩的なことが無くは無かったですが。

つづきは
また後日書きます。

どうしてわかったのですか
 私の場合、疲れる・運動すると腕が腫れるという症状がでました。
 腕の腫れは腫瘍が大きくなり静脈を塞いだため生じていました。
 実のところ血液検査で腫瘍マーカーをみれば簡単に判るようです。
 レントゲンにもおもいっきり写っていました。
 でもいずれも病名が分かったあとで気付いたことです。
 最初にパッと同定して治療をスタートさせた西村先生は偉大です。

もう大丈夫なのですか
 悪性度が高いということは「単純な奴」ということです。
 治って1年も経てば再発はないそうです。
 まだ1年は経っていませんが、
 がんセンターの先生によると「ほぼ大丈夫」だそうです。
 でも、実際には99年夏にひっくり返りました。
 このあとは、信頼している先生に診て頂いていますから、
 もう突然と言う事はないでしょう。でも、00年1月現在加療中です。

さて、私は何回手術を受けたでしょう。
 正解は5回。
  胸部について中央、左、右、左の4回、
  頭部1回、
  肝動脈関係で左肩。←これは局部麻酔なのでノーカウント。
 先日会社で聞かれたとき即答できないくらい、自分でもわからなくなっていました。

さて、抗がん剤治療1クール約3週間を何回受けたでしょう
 6回と端数、白金製剤ほかをたっぷり入れていただきました。
 白金などと金目のものを欲張ったわけではありません。

さて、総輸血量はどれくらいになったでしょう。
 最初の手術では1200cc。抗がん剤に関係して、赤血球 7回 2520cc、血小板 3回 600cc。
 ありがとうございました。

かかった医療費はどれくらいでしょう。
 医療総額は一千万円/年を超えていると思います。
 ほとんど健康保険組合からのお金で自腹は大変少ないです。
 独身サラリーマンなのでガン保険に入っていなかったのですがどうにかなりました。
 入ったら儲かったのに。ただし、個室に入ることになると大変です。

治療の途中、医師に止められたものは何でしょう。
 酒・タバコではなく、納豆とブロッコリー。結局は許可されましたけど。
 「医者に納豆を止められてね」なんてちょっとカッコが悪いですね。
 でも人工血管使用時の薬の関係で重要です。
 結局は「人工血管が詰まっちゃったからもういいよ」となりました。

入院の記念にとせがんで実費でわけてもらったものは何でしょう。
 患部のレントゲン写真と頭部のMRI写真。
 頭の中が空でない証明として頂きました。ただ、成分はヌカミソかもしれません。

これだけ長い入院生活、看護婦さんと親しくなったのでしょうか
 クリスマスコンサートで職員に混じって合唱に参加したり、
 病院イベントの手伝いもしましたが...
 −−−ざんねん−−−

なぜ夜景のきれいな病院(立川)と呼んでいるのか
 病院を選ばなくてはいけなくなったとき、
 たまたま小学校の友人たちと立川で飲む機会があり、
 「この近くにホテルみたいで、特に夜景がきれいな病院があるわ」
 といわれてその気になったから。(その後調べましたが)
 入った病室の眺望はたまたま...。

  参考までに、
 再入院したときの国立がんセンター中央病院は、
 改装されて、レインボーブリッジやお台場、東京タワーなど何んでも見えますし、
 展望レストランは東急ホテルが運営、展望風呂からは皇居と国会議事堂が見下ろせますから、
 こちらは完璧にホテルでしょう。当然病室はカーペット敷きで各々液晶テレビと冷蔵庫付です。


その他、
放射線治療、ステロイド剤、間質性肺炎などの話は次回更新時に。
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